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やっぱり会って話したかった…

今回日本に帰って来て一番行きたかった場所に行って来た。
先日書いた、亡くなった大学時代の友人の所だ。

12月はじめ、急に大学時代の友人からメールが来た。
「元気か?」と書かれたメールの後ろに彼が話したいことが書かれてる気がして聞いてみた。
「誰かの所にハガキが来た?」

電話で話してみたら、亡くなった彼の奥さんから喪中ハガキが来て、みんなびっくりしているということだった。
私が知っていることを話して、年末にお線香でもあげに行けたら、ということになった。

とにかく私がホッとしたのは、誰も知らないまま新年会でこのことを私の口からみんなに知らせるという辛い役回りから解放されたことだった。

お参りの日は何回か変更になって12月30日となった。
12月30日は私にとって年末の大きなイベントである「競馬友達との園田競馬場での同窓会」の日だった。
最初は「その日はちょっと…」と言ったものの、やっぱりお線香くらいあげてやりたい。
それで、朝取り合えず競馬場に行って、ギリギリまで競馬をやった後お線香を上げに行くことにした。

いつも通り、一番のバスで競馬場に行き、特観に入り、たこ天を食べた。
違うのは、私にはたった三レースしか勝負出来るレースがないということくらい。

幸い、安かったが1,2レースを連続で三連単で当てて、最後の3レースを外して、メインの馬券を友人に託して競馬場を後にした。

滋賀の友人宅へは8人の同級生と先輩で行った。
このためだけに東京から日帰りで来た友人もいた。

遺骨はまだ彼の実家にあった。
ご両親と奥さんが私たちを迎えて下さった。
小さくなった彼との対面はやはり辛かったが、ご両親たちは微塵もしんみりした話はされなかった。
なので私たちも彼と私たちがどんな付き合いをして来たのかをご両親にお話しさせてもらった。

妹からはご両親は息子さんを死に追いやった会社のことを恨んでおられる、というようなことを聞いていたが、お父さんは「部長さんも何度も来て下さって…」と穏やかな口調で話をされていた。
恐らく、子供の死から半年が過ぎて落ち着いてこられていたのだろう。

私たちが聞かなかったこともあって最後まで彼の最近のことや亡くなった原因のような話は出なかった。

ただ、私は彼の亡くなった時間を何となく感じて分かった気がしていた。
最初に彼の死を聞いてから三日連続で彼が私の夢に出て来た。
それからしばらくして、私は毎晩決まって深夜2時半前後に目が覚めるようになった。
ベッドに入る時間が10時でも1時でも関係無くだ。
だから私はなんとなく『この時間に逝ったかなぁ…』と勝手に考えていた。

結局、2時間もお話をして帰って来た。
いつも競馬の後に行く焼き鳥屋で競馬友達たちは私の帰りを待っていてくれた。
生きて、面と向かってこうして一緒に話が出来ることを幸せに感じた。

by jun-812 | 2013-12-30 23:18 | その他  

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